バテレン追放令とは?戦国時代を揺るがした宗教弾圧の歴史

響きがカッコいい単語 バテレン追放令とは?社会
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響きがかっこいい単語、今回のテーマはバテレン追放令

戦国時代の歴史を学んでいると現れるこの言葉。ほとんどの人が授業で一度は聞いたことがある言葉でしょう。

学生時代に授業で習って以来すっかり忘れてしまっている人も多いと思いますが、バテレン追放令は日本初の本格的なキリスト教弾圧令でした。

「バテレン追放令」のことば診断

当サイトでは、響きがかっこよく、知的好奇心をくすぐる珠玉の単語を厳選して、中学生から大人までわかりやすく紹介しています。

今回のテーマ「バテレン追放令」について、「身近さ」「レア度」「難解度」をそれぞれ診断してみました!

身近さ:4.0(どれくらい身近な世界の話か)

4.0

日本史を学んだことがあれば、一度は耳にしたことがある単語です.

現代の生活とは直接関わりはないものの、九州の世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」とは深い関わりがあります。

レア度:3.0(日常生活での遭遇頻度)

3.0

学校の授業や歴史に関する番組・展示などで登場する機会はありますし、長崎県周辺に旅行する際には身近に感じるかもしれません。

それ以外では学校の授業で習って以降耳にすることはあまりないでしょう。

難解度:3.5(言葉の意味理解の難易度)

3.0

言葉の意味自体は難しくありませんが、その背景や複雑な思惑を深く理解するには、ある程度の歴史知識が必要です。

そもそも「バテレン」って何?

まず「バテレン」という言葉から説明しましょう。

バテレンとは、ポルトガル語の「padre(パードレ)」が日本語化した言葉で、キリスト教の宣教師のことを指します。現代でいうと「神父さん」のような存在です。

16世紀の日本では、ポルトガルやスペインから多くの宣教師がやってきて日本人にキリスト教を広めていったのです。

豊臣秀吉が発した歴史的な命令

バテレン追放令を発したのは、天下統一を果たした豊臣秀吉です。

漢字では「伴天連追放令」と書き、天正15年(1587年)に発布されました。

内容を抜粋すると以下の通りです

  • 宣教師は20日以内に日本から退去すること
  • キリスト教の布教活動を禁止すること
  • 日本の大名が勝手にキリスト教に改宗することを禁止すること
  • 一般庶民の信仰や貿易は自由

興味深いのは、一般の人々の信仰は禁止していない点です。

秀吉が問題視したのは、宣教師による組織的な布教活動と、大名の改宗による政治的な影響だったのです。

キリスト教信者そのものは禁止しなかったため、当初はそこまで厳しい弾圧ではありませんでした。

なぜ秀吉はバテレン追放令を出したのか

秀吉がこの命令を出した理由は複雑で、いくつかの要因が重なっています。

政治的な危機感

最も大きな理由は政治的なものでした。当時、九州の多くの大名が次々とキリスト教に改宗していました。

これは単なる宗教的な改宗ではなく、ポルトガルやスペインとの貿易利益を狙ったものでもありました。

秀吉から見れば、外国の宗教を通じて外国勢力と結びつく大名たちは、せっかく統一したばかりの日本にとって脅威に映ったのです。

奴隷貿易への怒り

もう一つの重要な理由が、日本人の奴隷貿易でした。

当時、一部のポルトガル商人が日本人を奴隷として海外に売っていたのです。

これを知った秀吉は激怒し、宣教師たちもこの問題に関わっているのではないかと疑いました。

仏教勢力との関係

秀吉は仏教勢力との関係も考慮していました。キリスト教の拡大は、従来の仏教や神道の勢力を弱めることになります。

政治的な安定を重視する秀吉にとって、宗教バランスの変化は好ましくなかったのでしょう。

その後の展開と歴史への影響

バテレン追放令は、ある意味その後の日本の宗教政策の出発点となりました。

秀吉の死後、徳川家康の時代に入り、次第にキリスト教への取り締まりは本格化していきます。

しまいには1630年代の「鎖国」政策とともに、キリスト教は徹底的に禁止され、信者は弾圧されるようになります

世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」との関係

2018年に世界遺産に登録された、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、豊臣秀吉のバテレン追放令や、徳川幕府によるキリスト教の禁止令と深く関わっています。

これらの弾圧の時代はキリスト教信者にとってつらい時代のはじまりでした。

それでも信仰を捨てず、仏教徒のふりをしながら密かに祈りを続けた人々がいました。

そうした「潜伏キリシタン」の足跡が残る場所が、長崎や天草に点在する世界遺産です。

家の中でこっそり祈ったり、見つからないように教えを伝えたり――その工夫と信念が今も大切に残されています。

まとめ

今回は響きがかっこいい単語としてバテレン追放令について紹介しました。

バテレン追放令は単なる宗教弾圧という意味に加え、日本の外交政策や文化の方向性を決定づけた重要な出来事でした。

戦国時代の日本が直面した「グローバル化」への対応として、その後の鎖国~開国等の歴史的な出来事につながる重要な伏線とも言えるかもしれません。

バテレン追放令という言葉には日本と世界が初めて本格的に対峙した時代の複雑な事情が隠されているのです。

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